スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(ちょーだい)とんとん

下の子はあまりやらなかったのですが、上の子は「ちょーだい」を沢山しました。

なんのことかというと、まだ言葉が上手くない頃になにか欲しいものがあったらこうするのよ、と言って教えたジェスチャー。両手を仰向けに開いて、指先を相手に向けるように片方の甲をもう片方の手のひらに重ねてとんとんと打ちます。これが ちょーだい の合図。

クチで言えるようになってからは当然使わなくなっていましたが、こないだ(と言ってももう半年くらい前?)ひさしぶりに上の子がやりました。
台所で、味見させろ、と。クチがもどかしくて思わず手振りが出たんでしょうが、とても懐かしかった。

現役で使っていた頃は手のひらを広げたまま打つことが出来なくて半開き、またはげんこつの甲でもう一方の手のひらを叩くようなことになっていたこともありましたが、さすがに4歳児、きちんと手のひらを開いてとんとん出来ていました。
懐かしいと共に成長したなぁ、と。

これからどんどんこんな調子で、あの頃はああだったのが・・・と思う機会も増えるのでしょう。
スポンサーサイト

うらないについて

やたらと怒り(いかり)まくるおばさんや、大黒様と総天然色月影先生(@ガラスの仮面)のペアなどなど、占いが流行っていますね。
最近の不安な社会情勢で暮らしていくには、占いでも拠り所としないと暮らしていけない、ということ・・・なのでしょうか。

でも、不安なら石器時代の方がずっと大きかったはずです。文字通り明日をも知れない日々を暮らさなければならなかったはず。
きっとその頃占いは産まれたはずです。自分を取り巻く大自然、そのチカラが暴力となって降りかかる前に予兆を知りたい。それは本当に切実だったはずです。その頃の占いは自分と自分の種族が生き延びるための、命運を掛けた手段でした。だいぶ時代が降りて春秋や戦国のころの中国でさえ占いは国の命運を掛けた事業であって、占い師の命はまさに己の出す結果にかかっていたと聞きます。

-------

現在の占いの専横はそういう必死さとは違うような気がしますね。
先が見えない不安ではなく、目先が見えてしまった不安を取り除くために占いに頼っているように見えます。

自然の法則、社会の仕組みは古代はもとより、前世紀・・・は近すぎるから・・・前々世紀と比べてすら格段に解き明かされてきています。
200年も前なら神の仕業で済んでいたところが、原因から今この時点を通って将来の結果まで、相当正確に把握できるようになってしまいました。
昔の人なら“悪霊の仕業だから”で済んでいたところが、自分で考えて対応しないと確実に悪い結果を導き出すことが明らかになっていることのなんと多いことか。

今の占いは、そういう「自分で考えないとならない」ことを運命決定論的に片づけて目を逸らし、「ワタシのせいじゃない」と責任逃避する道具になりはてているように思えてなりません。

あなた、今朝電車の中で鞄が押しつぶされたのを、仕事がうまく行かなかったのを、子供を叱りすぎたと自己嫌悪しているのを、「今日の星占い」の言うとおりだったと思っていませんか?「あかさたな占い」が悪かったからしかたがないと思っていませんか?etc.etc.

もし「アレがこうだったから」と思っているなら、あなたの運勢はたかが知れています。例え運命が“運命決定論的”だとしても、その決定路線に乗れるかどうかはあなたの行動姿勢にかかっているのです。それは、文字通り何もしなかったら行き着く先は・・・どうなっているか、を考えれば明かですよね?

ですから、占いを信じる信じないにかかわらず、あなたの身の回りで起こることはあなたが原因の一端を担っていることを忘れないでください。
良いことも悪いことも、かならずあなたがコントロール出来ることを忘れないでください。コントロール出来るのですから、起こっていることをまっすぐ見て目をそらさないでください。目の前で起こっていることを見ずに星を見るようになったら、起こっていることの結果を全て引き受けなければなりません。望むものも望まないものも、与えられるままに。せっかく良い結果を得るためのチャンスはあるというのに、そのチャンスも見逃すことになります。

良いことも悪いこともお星さまがポンとくれるものではありません。必ず、あなたの考えとその結果の行動が絡んでいます。占いを見る時にはそのことも考えてみてください。

かわさき蕎麦

かわさき蕎麦 というのは、先日事件を起してしまったあの あじさい茶屋の川崎駅店だったのですが、もうせんからなぜか看板が かわさき蕎麦 になっていた店(←長い)です。

ま、あの事件とは関係ない、と思っておくということで。

試しにラーメンを食べてみたんですよ。
そしたら意外に美味しいの。あくまで駅蕎麦レベルですが。
でもチャーシューが美味しかったなあ。柔らかくて味が染みてて適当に厚みがあって。
柔らかくて、というと要するにモノホンの叉焼ではなくて煮豚ではあるんですが、とても美味しかったのでした。
あれで300円ということで十分に満足。

西武裏金問題

西武球団の裏金問題が拡大しつつあるようですね。
話の「流れ」くらいしか知らないのですが、一つ引っかかることが。

選手(候補生)を金で釣ってはいけない、という内規があるのに釣った。それはいけないことです。
こういう穴があることは知れられていたようですから、釣られた選手側にも引け目があったかも知れません。部活動の内規としてこういうことに注意するようにというものがあっても不思議はありませんね(そういう内規の存在は不明ですが)。
(←訂正:アマチュア野球の憲章としてそういう規定(?)がある模様 2007/3/16)

でも、選手側はこういう「贈り物」をあげよう、と言われた時点で心理的にバイアスがかかるわけです。それは、「ここで断ってしまうと、あとで野球界に入れて貰えないかも知れない」というバイアス。
選手側は「入ってやる」ではなく「入れてもらう」立場ですから、良いことも悪いことも「入れてやる」球団側の言うことを呑まないと許されない、と考える可能性は高い。もし「お金をもらったら後で困るかもしれない」と思っても、容易に断ることは出来なかったと想像します。

そういう、進むも地獄退くも地獄な状況で、「もらっちゃったんでしょ?だからダメ」というのはあまりにも酷。選手には寛大な処置をお願いしたい。
その寛大な処置とは、球界の処遇についてでもあり、市民全員の意識についてでもあります。



追記:2007/3/16
早稲田の選手の場合には、父親が進学費について球団に相談した、というアクションもあったようですね。(調べるなら早く>自分)
しかしその事実があっても、上記と同様に考えます。

「問いかけ」のカタチ

CNET Japan の Search Wikia の記事に対して、
だから問題はコミュニケーションにあるんだよ by com-lab さんは 2007年3月15日付エントリ中で、
『本来、人の頭の中に浮かんでいる問いは、こうした文章の形になっているはずだ。』
と書いています。

が。

ワタシはコレにはちょっと疑問符を付けます。

海外のヒトで(ディベートや作文などの)言葉を操作する教育を受けている人のことはわかりませんが、日本人で自分の問いかけをきちんと文章で表現できる教育を受けたか、またはそういうクセを付けている人はそれほど多くない、というのが実感だからです。

確かにヒトと話をして尋ねるということは日常的に行っていますが、それはニュアンスや身振り手振りを含めてのことであって、言葉だけで自分の聞きたいことを十分に伝えているヒトは、言葉を使うという点で、平均よりもそうとう高い教育や自発的啓発をされています。
そうでなければ、本屋に「自分の言うことを相手に伝える本」や「相手の言うことを聞き取る」ためのハウツー本があれほど氾濫している理由がありません :-)

ワタシは、今、ネット検索のユーザーが最も切実に求めているのは知りたいことに関係した言葉を入れると、それに対して、「これを知りたいの?」「それともこれ?」「これかな?」と先回りして聞いてくれる予測入力(?)ではないかと思っています。
ヒトとヒトとの会話も、ほとんどがこうなっているはず。
「・・・なの?」「それって・・・でしょ?」「そうじゃなくて・・・だからね」「あーなるほど」・・・
と。

グラフィカルにするのが対話型インターフェース、ではないはずです。
ユーザーがしたいことを示唆してくれる、そんな方向が究極の検索じゃないでしょうか。


・・・で、そこでまた頭を使わない人間が量産されるのデス(^^;
本当に人間はどこまで怠惰になれば気が済むのか(自嘲)

在りし日の。そして当日のWTC

GIGAZINE:
「9.11」の写真を5000枚以上集めた「World Trade Center Photos」

こうやって5000枚もの写真が集まるのも、WTCが名所だったから。
もちろん、WTCが 名所でなければ「9.11」は、少なくともWTCでは起こらなかったでしょうけれど。

一旦戦争がおこれば、名所でなくとも この5001枚目にあたる風景が必ず起こっているわけです。
これらの写真は、アメリカがどうのではなく、そういう普遍的な視点で見てやりたいと思います。

死んだ気でやらなきゃ生きて帰れない

“覚悟を決めて、死んだ気でやらなきゃ、本当に生きて帰れなくなるからね。”
~三浦雄一郎・冒険スキーヤー~

「冒険のリーダーの条件は、とにかく明るいことさ。死にそうなピンチでも冗談言ってるくらいにね。機嫌が悪いやつのそばにいると、不愉快でしょ。山ではカラ元気も必要なんだよ。 」とも。

人生は冒険だ。

出典:
日経ベンチャー 経営者倶楽部
http://nvc.nikkeibp.co.jp/free/SERIES/20070306/107841/

すこしふしぎ・いっぱいふしぎ

こういう文を書きたいなぁ・・・
そんなに長くありません。
コーヒーブレイクにどうぞ。一服にピッタリの内容だと思います。

「センス・オブ・ワンダー」
http://iwatam-server.dyndns.org/column/92/index.html

センス・オブ・ワンダーとは、直訳すれば「不思議感」とでもなろうか。世の中の様々なことに対して、不思議を感じる感覚である。これは「感覚」なので、理性の範囲外にある。


どうも、世の中の人の「不思議感」は年々鈍っているようだ。不思議を好まず、不思議がないことを好む人が多くなっている気がする。


「不思議感を育てる教育」は、学校で受けたわけではない。日本の技術の発展を支えた2人の偉人、手塚治虫と藤子不二雄のおかげである。ウソだと思うなら、今の中堅どころの技術者に「技術者を目指したきっかけは?」と聞いてみて、鉄腕アトムかドラえもんの名前が挙がる率を数えてみるといい。(ちなみに私はキテレツ大百科を挙げる)

子供の頃に手塚マンガか藤子不二雄マンガ(あるいはSFこども図書館でも可)に出会った人は、「不思議感」を持つことができる。

焼きそばを作ろう

ども~、θでーす。
ども~、コマチで~す。

θ「今日はお昼に焼きそばを作ろうと思います」
コ「ほほー、じゅーっとね」
θ「そーそー」
コ「じゅわーっと来て、こうぎゅぎゅっと切って」
θ「ちょっとまて。なぜ切る」
コ「だって切らないとワタシのカワイイお口に入らないもの♪」
θ「どこがかわいいお口だ?(ぎゅーーーーーーっと)」
コ「ごめんふぁふぁい~(;_;)。えーと、それじゃソースとマヨネーズを」
θ「マヨ?」
コ「ペタペタと・・・」
θ「まてまてっ、お好み焼きになってるじゃないか」
コ「だって焼きそばは、お好み焼きを食べた後じゃないと気分が~」
θ「いいの。今日のお昼は焼きそばを食べよう♪ってノリだから。お店じゃないの。」
コ「え~~~(;_;)」
θ「泣くなっ!」
コ「それじゃぁおいしいのの作り方ですねっ」
θ「切り替え早いな・・・」
コ「作る前に言っておきますが、ここまで引っ張って美味しくなかったり、もうみんな知ってますなんてことになったら袋だたきですよ?覚悟してますよね、当然」
θ「う・・・美味しさは自信があるが・・・衆知の事実かどうかは・・・」
コ「まぁ、袋だたきになったら出ていくのはアナタだから。ワタシは関係ないわ、ホーッホホホホ!」
θ(このやろこのやろ)
コ「あいたたたたたた、ごめんなさいぃ、もうエラソウにしませんんんん」

θ「用意するもの。ハイおねがいします」
コ「蒸し麺の焼きそば。よくあるのですね、3食130円~160円くらい。それから適当な具。今日はキャベツ、長ネギ、人参、豚コマにしました。」
θ「キャベツ、長ネギ、肉は適当な大きさに切ってな」
コ「はーい。ザクザクっと。はいおしまい」
θ「おい!」
コ「はい?」
θ「なんで2回で終わるんだ?」
コ「だって大きいのが好きなんだもの。炒めると縮んじゃうでしょ?」
θ「キャベツ4つ割にしてどうする。ちゃんと一口大に切れ!そのかわいいお口に入らないぞっ(ぎゅーーーっと)」
コ「ごめんふぁふぁい~(;_;)。マジメにやります、アイテテテ」
θ「長ネギは斜め切りでな。」
コ「あ・・・」
θ「どうしたっ(やや怒)」
コ「もう筒切りに・・・」
θ「わかったわかった。そのままでいいから・・・・・・イチイチ泣くなっ!」
コ「ぐすぐす・・・・・・。えーとそれから、お肉も刻むんですね、エイッ」
θ「ちょっと待ったーっ」
コ「えっ?」
θ「今度はみじん切りにしようとしただろう」
コ(にっこー)
θ「・・・噛み応えのある大きさにしてね」
コ「はーい」
θ(はぁ・・・)
コ「切ってばかりでなかなか炒めに入れませんねぇ」
θ「だぁれぇのぉせぇいぃだぁっ!」
コ「えへへ♪ ところでなぜ長ネギなんですか?」
θ「なんとなくだ」
コ「は?」
θ「なんとなく。香りがいいような気がするから」
コ「ふーん。だったらコマチはタマネギ・・・あ、なんでもないですなんでもないない」

θ「ようやく鍋の出番だが、まず、鍋で炒める前に麺を電子レンジで温めるのだ」
コ「ほほー。では外袋からスープと麺を取り出して、せーの」
θ「まてまてっ!麺の袋を破ろうとしたな?」
コ(うんうん)
θ「破ったら中身を直接レンジに入れようと思っただろう」
コ(うんうん)
θ「・・・袋を破るならボウルか何かに入れて蓋をして温めろ。だがこれは破らなくてもいい。」
コ「袋のままレンジでチン?」
θ「それで充分。麺は熱々にするのが肝心だ。後であまり炒めないのもあるし、ほぐれやすくなる」
コ「ほほー」
θ「それはそれでチンしておいて。こっちでは具を炒めるぞ」
コ「まず、鍋をチンチンに熱してから油を引くのね」
θ「まぁ、いきなり油を入れて鍋を火にかける手抜きをすることもあるが、鍋→火→油が正統だ。油は麺3玉+具で大さじ2杯くらいか」
コ「タラーッとして、ぐるぐるっと2回転まわしたくらいの量」
θ「そこに具を入れる」
コ「順番は?」
θ「適当だ。一気だ。」
コ「へ? ネギ先とかは?」
θ「たかが昼飯。そこまで考えない(ふんっ)」
コ「だったらさっきのキャベツだって刻まなくてもいいじゃないよぅ・・・・・・ぶつぶつ」
θ「何か言ったか?」
コ(ぶんぶん)
θ「野菜と肉を炒めたら、麺に付いてきたソースをかける」
コ「粉のまま?」
θ「粉のまま」
コ「全部?」
θ「麺玉の3分の2から4分の3くらい。麺玉3個だったら2袋。全部入れると味が濃くなるから」
コ「ってことは、濃縮味が好きだったら全部入れてもいいんですね」
θ「濃縮味ってのは不気味だがそういうこと」
コ「でもこっちに入れちゃうと、麺に振る分が無くなりますよ?」
θ「いいの。具にしっかり味を付けて、麺は絡めるだけ。コレがポイント」
コ「へー」
θ「だから具だけで味見をして、ちょっとしょっぱいくらいが丁度いいぞ。どうだ?」
コ「ふん、ひひほほふぉいふぁふ」
θ「味見で口いっぱいほおばるなっ!」
コ(脱兎)
θ「まぁ、炒まったようだな。次、麺投入」
コ「さっきの温めた麺ですね。袋を切って入れます。今度は袋ごと入れたらイケマセンよ」
θ「あたりまえだ!」
コ「そんなに怒らないでよー。入れちゃう人だっているかもじゃない」
θ「そうか。さっきのレンジの件もあるし、なにがおこるかわからないな。」
コ「PLですよPL。ね?」
θ「・・・えー、麺を入れたらざっざっと具と混ぜる。麺がほぐれているからさっさと混ぜられるのだ」
コ「混ざったら、あら、普通の焼きそばになったわ♪」
θ「なんだ“普通の”ってのは」
コ「なんだかまだらの中華麺になるんじゃないかと思ったんだもの」
θ「なんだそりゃ。口笛を吹いたら換気口から逃げていくのか?!」
コ「あらダメよ。ワタシの焼きそばだもの、食べて美味しくって口笛を吹くくらいじゃなきゃ」
θ「おまえの焼きそばかい!」

よろしくお召し上がりの程を。

ポイントは2点:
・麺を熱々にしておく。電子レンジを使うと麺がベタベタにならなくて良い。
・具に味を付けて麺を入れたら混ぜるだけにする。そうすると麺が鍋にくっつきにくい。麺を炒めようとすると鍋にくっつく。

(以上は、平野レミさんか小林カツヨさん(どっちだか忘れた・・・)のスパゲティナポリタンの作り方のまねです。ナポリタンも最初に具に味を付けてからスパゲティと混ぜるように作ると、焦げたりべちゃっとせずに美味しくできますヨ)

Template Designed by DW99

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。